小学生や中学生の頃の話。
近くのデパートの屋上には大抵ゲームセンターになっていた。
親にもらったお小遣い(1000円)を握り締めて自転車で街まで行く。
そしてそこにはいつもの友達が待っていた。
メダルの交換レートは、100円でメダル10枚だが、1000円だと130枚になる。
友人と500円づつ出し合って、1000円の130枚を山分けしていた。
メダルゲームは競馬モノが人気だった。
今でも覚えている、シグマのエキサイティングダービーだ。
過去5レースの順位が表示され、あとはオッズ(倍率)が
低いか高いかだけで賭ける先を決定する。実に単純だった。
当たった場合、オッズ分のメダルがストックに溜まっていく。
ただし、わざとメダルを排出させる設定にしていた。
ゲーム機からメダルが大量に出てくるのが気持ちよかったからだ。
自分ひとりだけがレースを的中させると、一人だけが「ジャジャジャジャ・・・」
という音を響かせることとなり、最高な優越感だった。みんながそうしていた。
昼メシはデパートのスガキヤのラーメンだ。
普通のラーメンは210円(当時)。肉入りラーメンが300円くらいで、
どっちにするかをいつも悩んでいた。
(クリームぜんざいという素晴らしいモノを知るのは、まだ先の話であった)
運悪くメダルが無くなった場合、友達のメダルが無くなるまで放浪することになる。
他のメダル機のメダル排出口には、まれにメダルが残っていたりする。
また、ゲーム機の下にはメダルが落ちていたりする。それを探すのだ。
まるで自販機を巡回するホームレスである。
夕暮れになると、余ったメダルを使い切ろうとする。
メダルを減らしたくて通常当たらないような馬にかけるのだが、
そういう時に限って当たるのは不思議だ。
メダルが20倍とかになって返ってきたりした。
そのせいで家に帰るのが遅くなって親に怒られることがあった。
「絶対に勝てない馬に賭けたのに来ちゃったんだからしょーがないじゃん!」
って言い訳しても、まったく理解はしてもらえない。
結局、親にぐだぐだ言われながも暖かいシチューを食べさせてもらう。
手は鉄クサイ。。。右手のメダルの臭いが取れるのには2~3日必要だったが、
でも、この鉄の臭いがなんとなく好きだった・・・。
今池のユニーの屋上に行った。
今でも昔ながらのゲームコーナーがあって、そういった若かりし頃を思い出した。
しかし、人はいないくてゲーム機の音だけが寂しく響き渡っていた。
いつかは無くなってしまうだろうか。
20円でファミスタがやれた。
[ファミスタ'90 画面がズレとる・・・
ピッチャーの選択で、にしもも(西本)がいたので懐かしかった。
でも画面が古くて、途中で横に伸びてて、そこでボールがグィィーンとズレるので、
打てない。。。1回でゲームオーバーになったのは少し悲しかった・・・。