今も鉄道に心を惹かれる者がたくさんいる。
そして私もその一人・・・。
鉄道好きと言うと幅広い鉄道マニアと思われるかもしれないが、
私は単純に「路線」や「廃路線」が好きなだけである。
そして先日も、かつて岡崎市と豊田市間に存在したという
名鉄挙母線跡を始点~終点までめぐる旅をしていた。
[名鉄上挙母駅から出ていた挙母線跡]
鉄道で岡崎市と豊田市間を移動しようとすると、
愛知環状鉄道(旧国鉄太多線)というイメージがあるが、
実は国鉄が開通する以前の昭和40年頃までは名鉄が走っていたのだ。
それが名鉄挙母線なのだが、なんと昔は自分の実家の目の前を
線路が通っていたというのだからその存在をしった時はビックリ仰天だった。
今は廃線となってしまっていてその多くは形として残っていないが、
なぜかビリビリとロマンを感じざるえなかった。
なぜ鉄道にはロマンがあるのか?。
今でこそ、鉄道は通勤や通学の足というイメージになっているが、
昔は日本近代化の象徴だったし、鉄道によって地方都市が発達した。
その鉄道路線を追えば、明治日本の歴史や地形、都市の姿が見えてくる。
はたして岡崎市と豊田市を鉄道で結んだ理由はなんだったのか?。
それを解き解くと当時の時代の何かが見えてくる。そしてそれはなんだったか?それは・・・
おーしえないっ! (究極のジラシ①)
愛知県の山の方には足助という歴史のある街がある。
香嵐渓の紅葉が有名なこの街は観光シーズンになると一般道路が
無茶苦茶な渋滞になり、地元の人は身動き取れなくなるという。
足助に鉄道を引き込まれていれば・・・と昔から思っていた。
実は足助に鉄道は伸ばされていた可能性は十分にあった。
この挙母線の前身である岡崎電気軌道と、名鉄三河線の二社は
足助までの延線を計画していた。特に名鉄三河線は足助の手前まで
線路を引く用地まで建設していた。なのになぜ引けなかったのか?。それは・・・
おーしえないっ!! (究極のジラシ②)
自動車等の発達により地方の多くの鉄道は廃止に追い込まれている。
鉄道は膨大な敷地を必要とするため、現時点での路線新設は難しいし、
一度廃止にしてしまえば、その後に復活させることはできないだろう。
これからも会社通勤は電車にしよう。自分はそう決めている。